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北陸路最大の難所 天下の険・親不知を歩いた

 【09//2015】

親不知駅と道の駅を訪問しいよいよあの親不知の
断崖絶壁の美を見に行くため国道8号線を歩いていきました。



道の駅出てすぐには小さな集落があります。
前回歩いた時のレポでも同じようなこと言ってたな俺・・(笑)
DSC01905_convert_20150416022728.jpg


それはいいとして歩き始めて何分か経ち気づいたのは
車を走る所は除雪されてましたが歩道側は除雪されておらず
この時期は人が歩くことがほとんど無いからそのままにしておけば
いいんじゃねぇの感満点な感じがしました。
DSC01906_convert_20150416023206.jpg



歩いてる途中ここから見ても狭い場所に
道路と鉄道が並んで敷かれてるのがわかりますね。
日本列島にはこうした天下の険と言われる場所が
いくつか存在してるわけですね。
DSC01912_convert_20150416024005.jpg


道の駅を出て30分ほど経った朝10時最初の見所の
親不知記念広場にやってきました。
前回2年前来た時はここまで歩いてやってきまして
ここでかすんで見える夕日を見たのを覚えてます。
真ん中の写真こそこれがあの断崖絶壁の崖が垂直に
海に落ちてるのがわかります。
江戸時代この北陸道を通るにはその崖とわずかな波打ち際の
海岸を渡るしかなく旅人の行く手を阻むので最大の難所と言われました。
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前回はここで終わりましたが・・・
今回は北陸本線ラストランなのでさらにこの先を歩いていきます。
とにかく今旅一番のメインにしてたのでここで引き返すのは
何の為にここまで来たんや!という気持ちが全面に出てました。
DSC01924_convert_20150416025041.jpg


その反対側に来てさっきまでいた場所を撮ってみました。
それにしてもこの近辺は国道なのにこんなに
険しいところを切り開きていくしかないのかなと
先人達の苦労が伺えます。
そしてこの界隈の名物は狭い洞門がいくつもあり
これを抜けていかなくてはなりません。
DSC01926_convert_20150416025156.jpg
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記念広場から歩くこと10分弱で天嶮トンネルの入口に着きました。
DSC01930_convert_20150416031508.jpg


その駐車場らしき所に真の親不知に関する案内が
載っている看板がありました。
俺が21になる約20日前の11月に仕事休みで
富山・滑川を経て市振駅から親不知駅まで歩いて以来
11年ぶりにここにたどり着いたのであります。
ある種ひとつの目標がやっと達成したかなという
安堵感を記憶してます。
DSC01933_convert_20150416025622.jpg


さっきの場所には小さな旅館が営業してまして
時間的にはチェックアウトから数分経過してその日の
夕方の来客に向けて準備をしてることでしょう。
それにしてもここからの日本海といい断崖の自然美は
美しいでしょうね。
DSC01932_convert_20150416031529.jpg


これからコミュニティーロードに向かいましたが
本当はこの下にある本当の親不知海岸と前後の断崖を
見たかったんですが目の前の階段の雪量が思った以上に深く
これ以上行くと靴がやられるので断念しました(大泣)
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そしてやってきたのが休憩所も兼ねた
親不知コミュニティーロードです。この四世代にわたる道の
変遷を一望でき旧国道にあたるこの道は1986年当時の
建設省等による「日本の道百選」にも選ばれてます。
ここは著名作家達にも愛され松尾芭蕉
そして「新日本紀行」の水上勉はこのように書いてます。
越後の「親不知」を私は好きである。美しい日本の風土のなかで、
私はいちばん「親不知」が好きである。私はこれまで「親不知」を何度訪ねたことだろう。
東京に住むようになってから私は若狭へ帰るたびに、わざわざ北廻りの汽車に乗ったのは、
「親不知」の風光を見るためであった。「親不知」は激しい断崖と荒波の海しか見えない、
日本の中心部を横断する中部山岳地帯が、北の海へ落ちこむのはこの親不知付近である。
山は固く、頑固な壁となって北陸道へ険しく襲いかかるように、
樹木の少ない荒ぶれた肌をみせて落ち込んでいる、、、、、、
と紹介されています。
名古屋・愛知に住んでる俺がどうして親不知の風景が好きなのか
この風景が恋しいというのを聞くと
さっきの展望台から見た景色や列車からの風景を眺めれるかな・・
自分なりに思いました。
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そして少し歩いた所の岩に「如砥如矢」(このごとくやのごとし)
と記されてます。
1883年に道路が完成した際にこの日本海の見える所に刻まれました。
その意は「(この道路は)砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐである。」
というのでしてそれまで旅人は命がけで波打ち際を通ってたんですが
これが第二世代道路で四世代目が1988年に海上に出来た
北陸自動車道というわけですね。
俺もこの壁を見て親不知のこの古道を見れてよかったと思いました。
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とはいえこれで終わったわけではありません(笑)
これから隣の市振駅まで地道に歩かなければならず
途中までこの旧道は歩けたんですが・・・
ある所から雪まみれのもしやこれ北海道よりすごい所に
来ちゃったみたいな場所をたまたま糸魚川出るとき
寄ってもらったコンビニで買った傘を杖代わりにし
天嶮トンネル西側合流地点まで気合で歩きました(笑)
この道見たら絶対普通の人なら諦めて引き返してたでしょう。
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思わぬ雪道という難敵と格闘しながらやっとの思いで
天嶮トンネルの西側にたどり着きました。
写真枚数が今回の記事では最高記録を更新しまして
30枚と傍若無人なまでの入れようですがもうすこしだけ
お付き合い下さい(ホンマすんません・大汗)
この先も歩道の無い洞門を渡りながら西へ地道に歩いていきます。
この狭い所を大型トラックがすれ違うこともあって
なおかつ冬場やったのでいつも以上に危険と隣り合わせでした。
正直この旅で俺の旅物語が不能になってもいいという位の
強い決意で歩いてたのを覚えてます。
決して真似しないで下さいね。(←それおめぇやろが!・爆)
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洞門を歩きながら30分後市振界隈に近づきました。
ここまで来て洞門からやっと解放されたという感じがしました。
21を迎える前の時にここを歩き出した時の思いと比べ
今回の達成感は半端なく喜びもありましたが
ふときづくとトイレが近いことにここに来て突然気づき
そこへダッシュ気味に駅方面に向かっていきました(汗)
DSC01975_convert_20150416033333.jpg
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ちょうどこの辺りが北陸道・市振宿の東の端と言われた場所には
高さ20m・樹齢約230年の街道の松という木が立ってます。
その昔松尾芭蕉が旅で歩いたことでも有名で親不知の難所の
スタートとゴールの目印でもあり旅人たちに親しまれた場所であります。
DSC01980_convert_20150423013734.jpg


現在の市振小学校の隣に1624年幕府の命令で設けられ
1913年まであった市振関所跡の碑が建ってまして
学校の校庭には榎が立っててこちらは関所の目印として
植えられ今日まで地元の人達が大切にしてるのです。
ちょうどこの辺りは北陸道の面影が残ってる場所でもあります。
DSC01982_convert_20150423013823.jpg


長い洞門を歩き続けて1時間以上経過してましたが
それよりもトイレが近づいてたことに気づき途中から
急ぎ足で歩き駅にあるトイレに何とか間に合いましたが
この冒険的な徒歩は楽しい反面えらいことなるなと気づきました。
DSC01985_convert_20150423013904.jpg


道の駅を出たのが朝9時半そしてここに来たのが正午で
2時間半かけ歩きましてお昼時なので駅から歩いて5分くらいのところに
道の駅がありました。
次の列車が13時なのでそれまではお昼ご飯食べ
10キロ歩いたんで少し休んで行きました。
DSC01998_convert_20150423014148.jpg



道の駅で昼ごはん後駅に戻り列車旅を再開したいと思います。
目前にある商店は今も営業してるかこの時しっかり見ることが出来ませんでしたが
市振駅前を長い間見守ってきたんでないかと思いました。
DSC01999_convert_20150423014228.jpg



北陸線として最後の訪問なので思い残すことが無いように
と思い30枚写真載せましたが・・・(大汗)
最後までご覧いただき本当にありがとうございました。
ここから北陸線に戻ります。


つづく


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Theme: 鉄道旅行

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Tags : 新潟県 国道8号線 天下の険

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Comments

No title

親不知ー市振駅間歩行無事完遂、おめでとうございます。
私は昭和の時代に写真撮影のため親不知駅から2キロほど歩いただけですが、当時は北陸高速道路もなく大型車が行き交う8号線沿いをひやひやしながら歩きました。

Posted at 07:45:12 2015/05/09 by ぞうまさ

Comments

Re: No title

ぞうまさ さん

返信遅くなってすみませんでした・・(汗)

ありがとうございます。

ぞうまささんが訪問された時代は北陸自動車道も無かったので
今よりもトラック等大型車が行き交ってたので
より危険だったと思いますね。

Posted at 00:03:46 2015/05/11 by burning s

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